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市民の批判と共に生きるデンマークの都市

藤森 修

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 幸福をはかる基準

グリーンランドと一部の諸島を除くと、北海道に満たない国土面積である北欧の小国・デンマーク。
首都はコペンハーゲン。
幾つかの機関で各国の「幸福度」を測るという試みがある。 デンマークの幸福度は世界第1位という。
簡素で洗練されたデザインが世界で支持されているデンマーク。
社会民主主義の高度な福祉制度にその結果を結びつける議論もあるけれど、市民が自分の街や環境造りに介入しているという誇りは幸福度を押し上げているだろう。

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写真1: デンマークの週末

写真1: デンマークの週末


 靴と共に生活するということ

「日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか?」と質問されたことが多い。
彼らにとっては謎の風習だろうか。 筆者がデンマークで生活していたとき、やがては靴を脱がない風習に慣れ、家の床の傷が気にならなくなったころ、自宅のリビングルームと街とが継ぎ目なく連続していく感覚を覚えた(写真2)。
換言すれば、街の石畳の大聖堂広場や自然公園も「すまいの一部」だと思えるようになったといえよう。
こうした意識が、コペンハーゲンの幹線道路から車を締め出し、ストロイエという全面歩行者天国を実現させたり、日当たりの悪い都市型アパートでの生活を補うために自然公園を充実させたのだろう。
彼らのすまいの境界線は外部へと、街へと、また街を造る建築へと押し広げられているのだ。

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写真2: ストロイエ

写真2: ストロイエ


 市民のデザイン意識

近年の日本のデザイン誌では北欧と日本の皮相的な共通点を強調する記事があるけれど、真実は大きく異なるだろう。
日本で見られる黄色い誘導タイルは、デンマークでは盲人ですら美観的側面から反対すると聞いた。 市民の審美眼のルーツ。
確かにかつてのバイキングの男たちが作った武装品、木造の舟や家、都市、すべて美しい。 だけれども日常生活のなかにも何かありそうだ。 こうした姿勢の積み重ねも市民のデザインへの意識に関係しているかもしれない。

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写真3: 地下鉄の駅

写真3: 地下鉄の駅


 市民の建築への関心

署名を脱することがデザインの語源であると、この国で耳にした。
「建築家のスタイル」Signature Design はこの国では求められない。 公共建築のほとんどが設計競技によって実現するために、建築家の「署名」ではなく、プロジェクトの「解決法」が求められる。 日本の建築専門誌でありがちな、建築家の私的な世界を強調するプレゼンテーションは見当たらず、都市の抱える問題を、建築設計を通して解決していく、という姿勢が貫かれている。

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写真4: 犯罪多発地域での筆者の計画

写真4: 犯罪多発地域での筆者の計画

デンマークの一般市民は新しい建築プロジェクトの動向に大変興味を持っている。
デンマーク人は権威を嫌い平等意識が高く、幼年期から教室の机を円形に囲み、積極的に議論する教育を行うという。 新しく建設される建築プロジェクトのデザインが周辺環境にあうかどうか、本当にこれが必要なのか、市民も積極的に議論に関わってきたという。 喩えるなら、まるで家族で話し合ってリビングルームに置くソファを選ぶように、最終的には現地で制作した実物の模型・モックアップを前に、選挙のように投票で建設の有無を決めることになる。
「シンプルで静謐な建築のデザイン」は万人に愛され「自然」と受け入れられたようにみえるが、当時は激しい議論を生み、デザイナーを苦悩させたという。 筆者の恩師であるデンマークの教授から、「この国では賛否両論が生じる建築こそが最高の結果」であると聞いたことがあった。  美しいバイキングシップであっても座礁が多いようだ。
今ではデニッシュデザインの名作と呼ばれ、皮相的には静かに佇む建築作品も、当時は多くの意見が飛び交ったことだろう。 たとえばデンマーク・モダンデザインの巨匠アルネ・ヤコブセンが設計した、コペンハーゲン市庁舎の塔と肩を並べるSAS ホテル(写真5)では、外観の色調をグレーがかったグリーンにするなど威圧感を和らげる工夫はあるものの、歴史的な街並みの中にニューヨークでみられるような未来的なビルを建設することに批判が多かったという。

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写真5: SASホテル

写真5: SASホテル

「アロス美術館」 クリックすると拡大します。

写真6: アロス美術館

写真6: アロス美術館

また、デンマーク第2 の都市オーフスのアロス美術館では、当初は白亜の外観の設計競技案が選ばれたものの、周囲にマッチする赤レンガの古典的な佇まいへの改案に落ち着いた。
こうした市民に翻弄される建築家の地位は高く、銀行で順番待ちをしていると、名前の前に肩書きを付けて呼ばれることも近年まで続いたという。 その反面、市民の厳しい判断で座礁したり批判されたりと、なかなか思い通りにならないようだ。
「保守的なコペンハーゲンは何でも受け入れる東京を見習え」という意見もある。
シドニーオペラハウスの建築家、ヨーン・ウッゾンですら牧歌的な環境に対して、景観上プロジェクトが合わないと中止された文化施設の計画があった。 竣工後にですら「建築模型と印象が異なる」と取り壊し運動が珍しくない。
「われわれはイタリア人ではない。『歩行者天国』を使いこなせる精神性はない。」と反対の意見も多かったそうだが、1962 年11 月17 日、幹線道路から車を締め出し全面歩行者天国(後に日本初の旭川の歩行者天国に影響する)を実現させた前述のストロイエや、一度埋められて車道になった古い運河を近年になって掘り起こしたりするなど(写真7)、新奇性を狙わない着実な計画と市民を交えた厳しい建築制限への決起が、都市デザインに結実し、世界中からの多くのツアリストを魅了していることは確かだ。

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写真7: 幹線道路から運河への修景

写真7: 幹線道路から運河への修景


 ことばと景観

デンマークは「敬語」を廃止することで、年齢・身分をこえ意見が言いやすい環境造りがなされてきた。
わが国が美徳とする、ことばの習慣。 それが、自分の街や環境造りに意見することを難しくしているのだろうか。
清潔で美しくデザイン性に優れたコペンハーゲン・カストラップ空港(写真8)を経て、10 数時間後に成田空港発の電車の車窓から外を眺めると、デンマークの法律より厳しいルールが課せられているとはいえ、そのルールが正しいものかと疑いたくなるような残酷な景観と、それを真剣に眺める自分の表情が二重写しとなる。

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写真8: カストラップ空港

写真8: カストラップ空港

しかし、日本には数え切れないほどの有能なデザイナーがおり、専門誌に掲載される「単品の」作品の質は北欧を凌駕しているともいえるだろう。
また、歴史に影を落とす高速道路の審美的側面が議論されたり、奇抜なデザインの家や鮮やかな色調のビルが日本の住宅地やオフィス街の景観に合わないとする倫理意識が日本の社会でも芽生えてきている。 賛否はあるものの、こうした動向を評価したいと考えている。


 住環境への反省と変貌

大きな窓越に豊かなランドスケープが展開するデンマーク ユトランド半島の刑務所。
米国の富裕層の住宅地として知られる「ゲーティッド・コミュニティ」のようだ。 このシングルルームにて受刑者は反省するのであろうか。 デンマークでは「住環境に対する満足度」も世界トップクラスである。
都市中央部のアパートの住居面積はさほど広くない。 隣家と寄り添って建てられている日当たりの悪いアパートの問題を解決するために、都市公園や郊外の家庭菜園場が住環境のサプリメントとなっている。 かつてウォルトディズニーが注目したという19世紀に造られたテーマパーク・チボリ公園もその一つである。 1960 年代になって、この国では集合住宅の方向性の議論が繰り返された。 当時主流であった高層型集合住宅はデンマークに相応しくないと反省し軌道修正された。市民は低層を選んだのである。

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写真9: 低層型集合住宅

写真9: 低層型集合住宅

かつての高層住宅のコミュニティは崩壊し、その後移民などによってゲトー化するなど、社会悪化の因となった。これを予期していたのだろう。いまでは取り壊しの話も出てきているそうだ。

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写真10: ゲトー化した集合住宅

写真10: ゲトー化した集合住宅

わが国では赤坂に建てられた高層型議員住宅がリッチだと羨望の的になったことがあったが、彼らは理解に苦しんでいた。 デンマークの貧困層向け住宅に酷似しているからだ。
デンマークの友人が来日したとき、筆者の家でテレビのニュースを、ことばが分からないまま鋭い眼で見つめていたことがあった。
児童が住宅地で事件に巻き込まれたという許されないものだった。 通りに向かって建物の顔が閉鎖的で、死角の多い住宅地だったと思う。 デンマークで同じような事件が生じたのなら、街や建築をつくってきた建築家の職能にも責任が向けられるという。 市民の片方の目は犯人を生んだ社会へと、もう片方の鋭いほうの眼は住宅地へと向けられるのだ。
筆者もこの国の住宅地で住宅設計を行った経験がある(写真11)。
レンガの色味や屋根の角度まで決められている厳しい景観のビジョン。 近隣の人たちのデザイン意識は高い。

「新興住宅地に建てられた筆者設計の戸建住宅」 クリックすると拡大します。

写真11: 新興住宅地に建てられた筆者設計の戸建住宅

写真11: 新興住宅地に建てられた筆者設計の戸建住宅

隣家の外灯のデザインがこの住宅地に合わないという訴訟があったりする。 近所の子供に自作の外壁の色を非難されたこともあった。
日本では直面しない困難が多かったが、理屈で反論する前に、冷静になって住宅地を歩き回ると良好な環境であると納得させられるのである。
一国の幸福を測るというのは無謀な試みかもしれない。 果たしてその定規がどんなものか知る由もないが、この国の人たちは確かな目盛りを着実に刻んできたようだ。
近年、コペンハーゲンで新たな建築プロジェクトが次々に実現している。 市民の英断で変貌してゆくデンマークの街の行方を、もうしばらく見つめていきたいと思う。


写真は全て藤森修氏撮影
全ての内容について無断転載、改変を禁じます。

藤森修 (ふじもり おさむ)
東海大学芸術工学部 建築・環境デザイン学科 准教授
デンマーク建築家協会会員
北欧建築・デザイン協会元理事


参考文献
藤森修「デンマーク文化の個人的体験」、『NR+』(東海大学北方生活研究所所報)2008年
藤森修「デンマーク建築家全面責任型福祉や省エネに関する規制は厳しい」、『建築ジャーナル』2008年
高田ケラー有子「平らな国デンマーク」(生活人新書)、日本放送出版協会、2008年

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