未だ終戦直後の侘しい羽田空港から、プロペラ機のダグラスDC−3で、大きな期待に
胸をふくらませ、私が初めてのヨーロッパに飛び立ったのは昭和31年の美しく晴れた
日だった。
東南アジア、インド、エジプトと二昼夜飛び続け、やっと到着したのは コペンハーゲン、其処で乗りついで目的地のストックホルムのブローマ飛行場に降り立ち
心に駆られて眺める私の眼には高層ビルらしい建築は見当たらなかった。
市の中心部でも、街の景観を構成している建物は5-6階の、むしろクラシックな落ち着いた
建築だった。明るく斬新なスカンディナビア デザインの高層ビルを期待していた私には
意外な景観だった。
然し、住み着いてみると、ストックホルムの建築は、アパートも戸建て住宅も全てその古風なファサードの後ろには、モダンで機能的なインテリアが装備されているのに気付いてきたし
平面計画の質に関しては、比較的均等であり、地方や都会、社会的階級差等の影響はあまり
見られなかった。
国の工業生産基準による寸法や広さの規定が平面計画に適用されている為に インテリアの均等な質をもたらしているのは容易に理解出来たが、建築法規や工業基準が
建築行政の機構の中で、住宅の居住性の向上に貢献している現実を知らされたのは驚異だった。
当時の日本建築条例の対象となったのは建築構造など技術的な事象のみで、平面計画上の
必要条件に関する事象は皆無であった。
スウェ−デンで自治体の建築指導課にいた建築主事は建築計画や設計の充分な職歴を持った
建築家で建築審査では平面計画の質を徹底的に検討したものである。
スウェ−デンの建築基準法とか条例はわが国の如く、古い条例を基本的に何十年も引用しないで、
数年置きに書き換えられている。
したがって、現在の基準法は私が半世紀以前に当面したものとは違い、計画面の条例は極めて 簡潔になっているが、その趣旨は相変わらずデモクラシーの精神、即ち人間の権威の尊重に あると思われる。
一方、日本の条例の平面計画に対する観念は、インテリア設計の如く、個人の私的事象であり、 お上の関する所ではない、と了解されているものと考えられる。
スウェ−デン住宅建築の現行基準法の事例:
少なくとも一室は居住者の衛生管理に必要なインテリアと設備をそなえること。
日常の居間としての部屋または仕切られたスペ−スを作ること。
就眠や休息のための部屋または仕切られたスペ−スを作ること。
炊事用及び食料保存のための部屋または仕切れたスペ−スを作ること。
台所またはその 近くに食事をするためのスペ−スを造ること。
居室内に家事をするスペ−スを作ること。
外室用のコートとかその他の物を収納するスペ−スを作ること。 以下省略
環境対策 :
都市景観としてのストックホルムのプロフィ−ルは私が始めて半世紀程以前に歩いた時から
余り変わっていない。
再開発が行われても、少々皴が増たり、白髪が目立って来た程度の 変わり方である。 旧都市内は町並みを立て替える現象は見られても、高層ビルが突然出現して
環境がガラッと変わってしまう様な事は起こらない。 スケ−ルやデザインの異質な企画は
取り止めとなるのが常識である。 何世紀も市民の記憶として植えつかれた街のイメージを
一夜にして変えるプロジェクトに賛同する市民はまず居ない。
その頃(50−60年)の環境問題は地域的なスケ−ルであったが、現在は国境を越えて
グロ−バルな深刻な問題に発展してしまった。
スウェーデンも国家的対策として、取り敢えず、建築物に関する法律として、ヱネルギー申告書を
毎年提出する制度を不動産の所有者に義務づけ来年度より実施する。
建築物の換気、暖房。冷房、その他の必要なエネルギー消費量を申告させ、住宅省はその
数字を基本として排出されたCO2その他の総計をコントロールする政策である。
このような先進国の動きが、環境問題対策上批判の対象となっているアジアの発展途上国
に国際的な協力体制を再認識させる動機となる効果が望まれる。
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写真は原 寛道氏撮影
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