オードロップゴー美術館 スノヘッタの新しい増築
8月14日に3年ぶりにコペンハーゲン北、オードロップゴーにあるオードロップゴー美術館の増築部分が完成しました。
オードロップゴー美術館の彫刻公園には、53号でご紹介した藤森照信設計の茶室があります。美術館は2018年春以来増築工事のため閉鎖していたので、2019年6月に雑誌の撮影のために茶室に行った以来2年ぶりの訪問です。デンマークでは国民のコロナ接種が70%を超えました。政府はデルタ株もコントロールできている理由から、美術館など文化施設やレストランでコロナパスポートの提示することや公の場所でマスクの着用義務を廃止しました。
増築の設計はオスロのオペラハウスで知られるノルウエーの設計事務所スノヘッタ(Snoehetta)です。前庭の地下に埋められ増築部分は、建物の採光を取るため、人間の腰の高さぐらいまで屋根が地上に出ています。「天国の海」と呼ばれる屋根は遠くから見ると彫刻的で波打ち、有機的です。ザハ・ハデッドが設計した強く、うなるような大きな曲線を描く黒い別館を損なわないように柔らかい造形です。素材は軽いスチールです。平らな表面にある三角形の幾何学模様は角度を変えてこすっているので、視覚的に立体に見えます。入場者はこの屋根の間にある通路を通って入り口に向かいます。1918年に建てられた英国の荘園風な本館、2005年に設計されたザハ・ハディドの別館、スノヘッタの地下の増築部、少し離れたところにある1942年のフィン・ユール自邸と、オードロップゴー美術館には色々な時代に建てられた建物がそろいました。
美術館の出入口があるザハ・ハディドの別館は施工も悪く、展示室は曲線があり美術館として使いにくそうです。個人的にあまり好きな建物ではありません。訪問した日は時折激しいにわか雨が降る日でした。黒色の外観が雨に濡れてより黒が強くなり、意外にとてもきれいでした。受け付けは狭く、ロッカーやトイレが少なく混雑しています。日本のように傘立てがないので、沢山の傘が入り口に無造作に広げてありました。地下14mの深さに作られた増築部は、ザハ・ハディドの建物と階段をつなげて続いています。企画展ができる天井が高い広い部屋があります。さらに階段を降りると美術館の主要な収集品であるドガ、マネ、モネを中心としたフランス印象派やゴーギャンなどの後期印象派の作品が展示されています。木の床が歩きやすく、室内は落ち着いていて、音響がいいです。階段の手すり、展示の壁、天井にナラの木が使われています。展示室の床や壁が灰色、黒色でまとめられているザハ・ハディドの建物と対照的です。
収集家の家族が生活していた本館の展示室には、19世紀のデンマークの黄金時代と呼ばれる時期の絵画や日本でも人気が高くなったヴィルヘルム・ハマスホイの絵画などが掛けられています。以前はハマスホイだけの絵がかたまっていた展示は、今回はモノクロームに近い色のハマスホイの絵と同時代に活動した別なタイプの画家の絵を組み合わせたりして新しい展示を見せています。美術館が広くなったので、これまでほとんど紹介されなかったオードロップゴー美術館の絵画を収集したヴィルへルム・ハンセン(Wilhelm Hansen 1868-1936)の生涯やコレクションの歴史を紹介する展示ができました。保険会社の社長だったヴィルヘルム・ハンセンは、1892年から1916年にかけてデンマークの19世紀の絵画やフランス印象派を中心に収集しました。この時期には松方幸次郎やアメリカ、イギリスでも有名な美術館を創立した実業家が熱心に印象派の絵画を収集していました。ハンセンは1918年にオードロップゴーに土地を買って、イギリス風な館で暮らしました。 1936年にヴィへルム・ハンセンが交通事故が原因のために亡くなった直後に養子の息子も失った未亡人は、1950年に国にコレクションを寄付する遺言を作成し、1953年にオードロップゴー美術館が開館しました。
松方コレクションを作った松方幸次郎は、1923年(大正12年)にハンセンが絵画を収取するための資金を提供していた銀行が倒産して経済危機に陥った時、ハンセンの所有の絵画34点を買いました。それらの絵画はその後松方幸次郎がやはり自分の会社である川崎造船所が経済危機に陥った時、内外に散逸してしまいました。1989年にオードロップゴー美術館でマネ展があった時、アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)と国立西洋美術館から66年ぶりでハンセンが所有していたマネの絵2点が里帰りしました。
美術館の裏手にあるフィン・ユールの自邸の公開日は、週末2日間だけになりました。
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写真は全て小野寺綾子氏撮影
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