この欄で何度も紹介しているリアルダニア(Realdania)はアーネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen 1902-1971)が設計した2戸の自邸を所有しています。
最近、アーネ・ヤコブセン(以下AJと省略)が1929年(昭和4年)に設計した最初の自宅を見学する機会がありました。 これまで、2度この自宅の見学に行ったことがありますが、住人が暮らしている中の公開でしたので、建物の外見と庭以外の写真が撮れませんでした。 今回は、私が見学した時に住んでいた家族が引っ越して、空き屋でしたので、自由に内部の写真を撮ることができました。 この自邸はAJがバウハウスや機能主義の影響を受けた初期の建物です。
家は、コペンハーゲンの北、ベラベスタや2番目の自邸があるクラペンボー駅から、車で10分くらいの超高級住宅地にあります。 AJの自宅より直線距離で、300メートルも離れていない通りに、一般公開されているフィン・ユールの旧自宅があります。
自邸は、Gotfred Rodes VejとHegelsvejという二つの通りが交差するT字路にあります。 この2つの通りには、AJが1929年から1937年にかけて設計した黄色いレンガを使い、赤い瓦、大きな長い煙突のある屋敷が13軒ほどあります。
AJは1927年25歳で王立アカデミーの建築科を卒業し、2年後の27歳の時、この家を設計しました。 家は、白い機能的な外見です。 そのころ、法律ではコンクリートで家を作ることは認められていませんでしたので、材料はデンマークの伝統的な黄色いレンガが使われています。 1930年の設計事務所と車庫の増築部分は、コンクリートで作られています。 NO. 26の記事にご紹介したように、1924年(大正13年)にノルウエー出身の建築家エドワード・ハイベア(Edvard Heiberg)がル・コルビジェやバウハウスの影響を受けて、コペンハーゲンの郊外に北欧で最初の機能的な自邸を設計しています。土台とテラスはコンクリートですが、建物の建材は、木とレンガなどを使った伝統的なハーフテインバー式の作り方です。
建物は、道路に背を向けた格好で、玄関は道路に面していません。 門を入ると、玄関は建物の裏側にあるので、玄関まで長いアプローチが続きます。 これはヤコブセンが、居間や書斎にいて、部屋から誰が来るのか見ることができるように設計してあります。
居間の前庭にある印象的なキノコの様に丸く刈り取られた木は、もみの木で、ヤコブセンが植えたものだそうです。 当時は、無機質で、四角い白い家に対して、木は逆に自然に任せた形だったそうです。 古い写真では、家より非常に高く伸びた柳の木が植えられており、もみの木はまだ育っていません。 白く長い塀に沿って楡の木が数十本植えてあります。 白い平面的な壁に対して、枝にこぶが付いたねじれた自然の造形が対照的です。 門の脇にある、二つの丸い形をした木は、ツタです。 このツタは、AJのオリジナルでは、ないとのことです。
白く塗られた建物、鉄の窓枠、繊細な白い鉄の階段とテラスなど、その当時の新しい様式を取り入れた外見のモダンさに対して、家の中は、デンマークの伝統的な間取りになっています。 入り口を入ると、左手に台所、二階に行く階段、狭いトイレ、正面に広い食堂があります。 玄関の右手には、ガードローブと鏡があり、暖炉のある主人の書斎、その奥には広い居間があります。 二階は女中部屋、寝室、子供部屋、バスタブのある洗面所とテラス。 寝室から居間の上にあるテラスに出ることが出来ます。 地下は広く洗濯部屋、ボイラー室、物置があり、増築した事務所に続いています。 台所は少し手狭ながら、たくさん収納棚があり、コンパクトにまとめられています。 前述のハイベアが設計した自邸の台所の方がもっと合理的、機能的に設計されています。
AJが住んだ当時の家の写真を見ると、居間の窓辺には、AJの好みを反映してサボテンなど植物の鉢がたくさん置かれていました。 窓には厚いカーテンが取り付けられて、重厚で伝統的な家具がおいてありました。 機能主義とはかけ離れた、上流階級の室内風景でした。 今でも植物の鉢を置くため緑色になった銅製の箱が残っています。 その下に、空調用設備があり、手動で調節できます。
二階の階段を上ると、最初の部屋に行く途中の曲がり角に、二段くらい部屋に行く、小さい付け足した階段があります。 これは、AJが妻と不仲になって家庭内別居していた時、AJは寝室に仕切り壁を作り、AJが仕切った自分の部屋からすぐ出られるように付け足した階段と聞きました。 電話も別個にしていたそうです。
居間と食堂の間の開閉口はドアではなく、木製のスライドドアです。
鉄枠や窓は、オリジナルで、ガラスが一枚入った窓です。そのままでは熱効率が悪いため、壁に断熱材を入れています。 設計事務所として増築された部屋に、AJが好きな色だった緑色に塗られた螺旋階段があります。 事務所の自分の部屋から、温室が見渡せます。
Realdaniaが、現在有料、無料で自邸を一般公開している理由は、この家に新しく住む人を探すための広報活動の一部です。 Realdaniaは所有する家を、博物館のように空き家にせず、住みながら管理をしてもらう方針です。 2月に行われた無料の一般公開では、8000人ほど見学に来たそうです。
この地域は超高級住宅地ですので、家賃も高く月々30.000クローネ(約48万円)+光熱費が掛ります。 庭と共に国の文化財である歴史的なAJの家に住みたくても、月々の家賃を聞いて、尻込みする人も多いでしょう。
建築家であり、王立芸術アカデミーの名物教授だったステーン・エイラー・ラスムッセン(Steen・Eiler ・Rasumussen 1898−1990)が1940年にドイツで出版した『北欧の建築』では、1900年代から1938年くらいまでのデンマークやスウエーデンの浪漫主義、古典主義の建物、住宅、集合住宅がたくさん紹介されていますが、AJが設計したモダニズムの作品は網羅されていません。 ラスムッセンはAJが半分ユダヤ人であることや、ナチドイツ時代にドイツ語でベルリンの出版社から発行される配慮から、AJの作品は入れませんでした。 ドイツの出版社もナチドイツの検閲を恐れていたようです。
この本の日本語の翻訳は、吉田鉄郎の訳で現在でも買うことが出来ます。 日本語版の本の大きさが小さいために、オリジナルの本の写真が鮮明ではなく、レイアウトも台無しになってしまったのは、残念なことです。
S・T・ラスムッセンとAJは子供のころ同じ通りに住んでいました。 数学が非常に得意だったラスムッセンは、数学が苦手なAJに数学を教えるはずでした。 しかし、AJは数学にまったく関心と興味をしめさず、家庭教師の話はだめになりました。 若い頃のこの出来事やドイツ語の本の事もあり、二人の仲は良くなかったです。 又聞きで真相は本当かどうか分かりませんが、S・T・ラスムッセンが、アカデミーの建築科の学生を連れてAJの自宅(二番目の自宅)に見学に来た時、AJは学生を家の中に入れても、ラスムッセンには家の外で待っているように言って、家の中に入れなかったという逸話があったそうです。
■
写真は全て小野寺綾子氏撮影
全ての内容について無断転載、改変を禁じます。