2008年11月29日にヨーン・ウッソンが90歳で亡くなりました。
12月6日にヘルベックの教会で葬儀がありました。
ヘルベックは、ヘルシンガーから北西へ約6kmにあり、ウッソンが1952年に最初に設計した自宅があります。 あたりは海岸にも近く、彼に建築のインスピレーションを与えた森が広がっています。
自宅の近くの森に、17-18世紀に水車の力を利用して、大砲や鉄砲を作った水車小屋が博物館として残っています。 ウッソンの家がある通りは文字通り「鉄砲製造工通り」です。 2008年4月9日に90歳の誕生日を迎えたとき、テレビで誕生を祝うニュースがありました。 古いオペラハウスの記録映画や1990年代のインタビューなどで、最近の消息を知らせるのは何一つありませんでした。 デンマーク人はウッソンが世界的な建築家であり、シドニーのオペラハウスを設計したことが誇りです。
ウッソンはマジョリカ島に1970年と1994年に設計した神殿を思わせるような家に住み、夏はデンマーク、冬はマジョリカ島というふうに半幅隠居生活を続けていました。
ウッソンは健康上の理由でヘルシンガーに戻ってきても、公の場所には出ませんでした。 ローマハウスの広報誌に数年前ウッソンからクリスマスの挨拶があり、サインが書かれていました。 力がなく小刻みに震えた筆跡は、ウッソンの体調を如実に語っていました。
建築家としてヨーン・ウッソンの名前で建物が建てられたのは、1986年に完成した高級家具店パウスチャンの設計が最後です。 そのあとのエスビアの音楽ホールやオルボーに完成したウッソンセンターなどは建築家である息子たちとの共同設計になっています。
パウスチャンの設計では、ウッソンは海に面した土地を下見して、3週間後に依頼主に設計図をもってきました。 現在、そのパウスチャンの建物を中心に回りに息子のキム・ウッソンが設計した同じような建物が並んでいますが、全然建物に面白みがありません。
ウッソンが亡くなった後、新聞にいくつか追悼記事がのりました。 ある記事に、ウッソンが、オアブリンで高校をひどい成績で卒業したと書いてありました。
オアブリンは日本語では読み書き障害(または失読症)といわれ、ヨーロッパ言語ではよく聞く言葉です。知能は普通ですが、文字が逆さまに見えたりして、読み書きにある種の障害を伴います。 現在は、オアブリンの人に、特別な読み書きを教える方法が開発されていますが、一昔は読み書き障害に対して理解がありませんでした。
ヘルシンガーにウッソンが建築の初期段階で関わったものの、オペラハウスの仕事が忙しくて、別な建築家が作った建物が3件あります。
一つは、町の中心部にある1966年にできたもと特養老人ホームの建物です。 1950年代にウッソンは、ヘルシンガー市に4枚のスケッチ案を提出しました。
その内1点が採用されましたが、オペラハウスの仕事のためその計画から正式に辞退し、彼の事務所に勤めていた建築家が完成させました。 8階立ての建物は1999年まで特養老人ホームの一部として使われていました。 特養老人ホームが移転したので、その建物も同時に取り壊す予定でしたが、ウッソンが関わったというので市議会で保存が決まりました。 取り壊された特養老人ホームの跡地にこぎれいなアパートが建てられ、保存された建物は狭すぎると悪評だった部屋を改装してアパートになりました。
建物の前の広場がウッソン広場になるはずです。 しかし、アパートを建てた建築会社が手を引いたので、広場やまわりの建物が補修されず、半年以上も荒れたまま放置されています。
2件目はLO Skole (エルオースコール)と呼ばれる、全国労働者組織の研修センターです。
ウッソンが1958年のコンペで一等をとりましたが、代わりに2位になったヤール・ヘルガー(Jale Helger)、カレンとエベ・クレメンセン(Karen and Ebbe Clemmensen)の設計が採用されました。
LO スコールは正面玄関を入ると、中庭を囲んでロの字に囲んだ中央の建物があり、なだらかな起伏のある丘に増築された別棟がいくつも並んでいます。
LOスコールは1960年代の建物ですから、ルイジアナ美術館と日本の平屋を思わせる軒が低い建物の建て方、建物を地下に埋めて、庭から対岸のスウエーデを見渡す景観の取り入れ方かたが類似しています。 ランプはポール・ヘ二ングセン、家具はボー・モーンセン、ハンス・ウエグナーなどデンマークを代表する作家の家具が贅沢におかれ、壁を飾る絵などもデンマーク人の画家のコレクションです。
LOスコールのすぐ近くに1966年から1970年に建てられたヘレボーパーク(Hellebo Park)と呼ばれる高級アパートとビアケボー(Birkebro)特養老人ホームがあります。 この建物の元のアイデアもウッソンが提案したものですが、オペラハウスの仕事のため実現しませんでした。
アパート群の建物の外壁はローマハウスと同じ黄土色のレンガが使われています。 ヘルボーパークには10階建てのアパート、3階建てのアパート、2階立ての家などの建物群があり、2階立て一角にマジョリカ島から戻ったウッソンが奥さんと住んでいました。 3階建てのアパートは中庭を囲んで、閉鎖的な感じですが、2階立ての建物と同様にテラスはすべて庭を向いていて、明るく解放感があります。
ヘレボーパークと特養老人ホームは王立建築アカデミー教授のハルダー・ゴンルソン(Halldor Gunnloegsson 1918-1985 )とヨーン・ニールセン(Jorn Nielsen 1919-1996)の設計で、特に3階立てのアパートは彼らが設計した外務省の建物と外観が良く似ています。
特養ホームの建物にも黄土色のレンガが使われ、やはりローマハウスのように独特の建物と一体になった低い壁があり、ローマハウスのパターンを受け継いでいます。 LOスコールとヘルボーパークがある旧ヘルベック街道を通って広大な森をぬけると、ウッソンの自宅がある「鉄砲製造通り」に出ます。
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写真は全て小野寺綾子氏撮影
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